『レイジング・ブル』を視て(´_ゝ`)
1980年の映画。
そんな古いのか。
ロバート・デ・ニーロが現役ボクサー→引退後の肉体を表現するために27キロも体重を増やしたのは有名な逸話。
その後、マット・デイモンやクリスチャン・ベイルなんかも過酷な体重操作を役作りのためにするようになるけど、その走りといっていいかもしれない。
主人公のジェイク・ラモッタが実在の人物だってことを知らなければ、今の感覚からすると「ボクサーの映画」としてかなり違和感がある。
それだけ時代が変わったんだと思う。
逆に当時は当たり前だったかもしれない。
15歳の少女に手を出すとか八百長とかの諸々が。
今だとプロのボクサーじゃなくても受け入れられんか。
ここ20年くらいのあいだに、プロのアスリートに求められる資質が変わってきてるしね。
井上尚弥選手や中谷潤人選手のような「チャンピオンらしいチャンピオン」を人々が求めるようになってしまっているし。
聖人君子である必要はないはずだけど、圧倒的に強い人には品行方正であって欲しいと思ってしまうんだよなぁ。
でもこの『レイジング・ブル』のような映画の主人公になるにはクソな部分が必要なんよね。
クズ野郎か、とんでもない逆境があったりしないと物語として成立しないからね(´_ゝ`)