ぺっともらこっと

ONE Championshipの10月15日のラインナップがとんでもねぇ。

まずタイトルマッチのジョルジオ・ペトロシアンは言うまでもなく。

フェザー級トーナメントの準々決勝4試合の顔ぶれが凄い。

とくに以下の2試合。

マラット・グレゴリアンVSアンディ・サワー

サミー・サナVSチンギス・アラゾフ

K-1の世界王者が3人もいる。

さすがに今のアンディ・サワーマラット・グレゴリアンに勝つことは難しいと思うんだが、この対戦は見てみたい。

個人的にはマラット・グレゴリアンVSチンギス・アラゾフで決勝を戦って欲しい。

どっちも鬼のように強いし。

そして勝った方がいずれペトロシアンと対決。
燃える。

まあ格闘は思い通りの展開にはならんだろうけどね。
他の選手も実力者揃いだし。

ちなみにOneのフェザー級は-70kg。

他のキックボクシングでいえばスーパーウェルタールター~ミドル級なので勘違いしないように(´_ゝ`)

ふれみんぐ

『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』観てきた(´_ゝ`)

シリーズものの大作なので、そりゃデキはいいわな。
全編通して、とにかく「金かかってんなー」という印象。

もともとの公開予定日から伸びに伸びての上映だから、その分期待値も高まってしまったものの、その期待に十分に応えられる作品になっているのは大したもの。

とはいえ、締めるためにやや強引だった感は否めない。

ブロフェルドやサフィンの退場の仕方に納得いかない人もいるんじゃないかな。

この辺りはキャラクター性とかストーリーの問題ではなく、キャストの多くがこの作品までの契約だったという、「大人の事情」の問題だという事もあるわけだけど。

次の新シリーズへの布石というか伏線みたいなものもいくつかあったが、どうなるやら。
ダニエル・クレイグはお疲れ様でした。

さっだーむ

デビルズ・ダブル』を視た(´_ゝ`)

フセインの息子のウダイの影武者の話。
まあ、実話っぽく描いてはいるけど、ほぼフィクションだろなぁ。

実際にウダイは悪名高く、米軍に殺されたときはイラク国内でお祭り騒ぎになったらしいし。
ちなみにその「お祝い」で銃を撃ちまくって、その流れ弾で30人くらい死んだらしい(´_ゝ`)

ストーリーとしては面白いが、政治的な色を持ち込まない方がよかったんじゃないかと思う。

政治色が見え隠れすると、それだけで毛嫌いする人多いからね。
興行も振るわなかったみたいだし。

フィクションに潔く振り切った方が成功したかも。

もったいないなぁ(´_ゝ`)
ドミニク・クーパーの演技もめっちゃいいのに、ほんともったいない。

あと、イラクってアラビア語クルド語じゃなかったっけ?

登場人物が英語で会話してるのもうさん臭いというかなんというか。
この点も、無理に「史実ベース」ってことにしなければ良かったのにと思う。

あるごる

もはや今さら言っても仕方のないことだが、俺は小学校での英語教育とプログラミング教育に反対だ(´_ゝ`)

とくにプログラミング教育はまったくの無意味。
ずっとそう言い続けていたが、その理由としてより説得力のあるものを見つけた。

FORTRANの父、ジョン・バッカスの言葉だ。

彼はFORTRANもを含め、初期のプログラミング言語ノイマンのストアド型の構造に支配されていたことを嘆いていた。

ノイマンが現代のコンピュータにもたらした貢献は果てしなく大きい。
しかし同時に、それが足かせににもなってしまった。

バッカスは言う。
FORTRANをはじめとして、それに続く言語が20年に渡ってノイマンの概念から発展新たのはやむをえないことだが、残念なことだ。

 なぜ残念かといえば、長年この方法に慣れてしまうと、将来遥かに優れた知的能力と計算能力を提供するプログラミングを理解し、採用することが難しくなるからだ」

実際、16bitに慣れたプログラマが、GUIの32bitのプログラムに適応できなかったり、手続き型に慣れてしまってオブジェクト指向へと転換できない例はいくらでもある。

この大きな理由は、ソフトウエアに関してはいまだに確固たる科学的な分野が確立していないことだ。

コンピュータサイエンスはすでにある。
だがソフトウエア工学は、名前だけが独り歩きしちゃってる状況。

1968年、ブライアン・ランデルがはじめて「ソフトウエア工学」という言葉を使ったとき、あくまで科学として確立するためのカンフル剤として意図的に名付けたものだったが、すぐにこの言葉は既成事実となってしまった。

半世紀も経ってるのに、いまだソフトウエアには確立された科学的な論拠が存在しない。

いまのプログラミング手法が、10年先や20年先でも通用する保証は一切ないわけだ。

だからこそ逆に、古臭くて基礎的なコンピュータサイエンスが重要になってくる。
でもこのCSは数学を理解していないと意味がない。

たとえば計算量で使われるランダウのO記法では、対数や指数が分からないと何を評価しているのか理解できない。

Squeakなどのようなプログラミング言語に、子供のころから慣れさせておくのは賛成だ。
でも学校の「教育」でやることじゃない。

学校の「教育」にしてしまうと、問題解決の手段に「正解」があるものだと錯覚してしまう。

その教えられた「正解」が、上記のバッカスの言葉のように足かせとなり呪いとなってしまうこと、それが俺が学校でプログラミング教育することに反対する理由だ。

というか、教育者の人たちは、いま現在のプログラミング手法を教えて、10年20年後に彼らがIT分野で大成すると本気で思ってるのだろうか(´_ゝ`)

だいなも

『風をつかまえた少年』を視た(´_ゝ`)

事実に基づいた話で、いつの時代かと思ったらわずか20年ほど前。
主人公のカムクワンバは現在34歳でまだ十分に若い。

色々と考えさせられる映画だよね。

新しい事をやろうとすると、それがどんなに実益に適うものであっても、余人の理解はなかなか得られない。

しかも新しい事はだいたいうまくいかない。

この映画みたいに、最終的にうまくいくのは稀。
主人公が天才だったからではなく、こればかりは運・不運が大きい。

天才だからといって、なんでもうまくいくとは限らんし。

逆に、うまく周りの理解を得られれば、凡才でも成功することも有り得る。
滅多にないことだけど。

最近は少しずつ「挑戦することそのものに価値がある」という風潮も強まってきてはいるけど、それでもやっぱり新しい事を始めるときには否定的な意見の方が大きいだろうね(´_ゝ`)

そしてだいたいの場合、うまくいかないから否定した連中の言ってる事が「結果的に」正しいってなっちゃう。

それではいつまで経っても進歩も成長もないけど、歳を取るとそういった事と自分が無縁になるから、余計に阻害する側に回っちゃうんだろうね。
老害の出来上がり(´_ゝ`)

実際、歳のせいか、この映画でも父親の方の心情にも共感しちゃったしなぁ。

そんな父親役のキウェテル・イジョフォーが監督・脚本もやってるんだね。

昔は演技うまい役者は監督に不向きって言われてたけど、まったく関係なかったな(´_ゝ`)

あびめ

9月12日に受けたTOEICテストの結果が出た(´_ゝ`)

リスニング385、リーディング395の合計780。

うーん。
800いかんかったかー。

テスト当日のブログにも書いたけど、リスニング調子悪かったんだよな(´_ゝ`)

415を取った前よりも落ちちゃってるし。
逆にリーディングは簡単だった。

800超えてたら、もうTOEICテストはいいかなと思ってたんだが…
また来年受けるかね。

値上げはしちゃってるけど、一応バウチャー使えるし。

実際のところ、テスト受けてみて自分が「リスニング調子悪かった」とか「リーディング簡単だった」とかの感覚があって、それがスコアにそのまま反映されるようになってきてるのは大きいと思う。

客観的に自分の英語力を判断できているというか。

スコア予測としては780~820くらいかなーと思ってて、その下限が表示された時には、予想が悪い意味で当たってて不満だったけど。

それにしても、40過ぎて英語力がこうして伸びてるのは、ひとえにネットの力やね。
とくにYouTube

英語だけじゃないけど、何かを学ぶってことを誰もが簡単にできるのは、マジでいい時代になったなーと思う(´_ゝ`)

ふぁるましあ

ワクチン接種してきた(´_ゝ`)
ようやく1回目。

向こうも手慣れたもので、ちょい早めに行ったけど「すぐ打てますよ」で打って、15分休んで終わり。

カロナールという鎮痛剤を50円で買って帰ってきましたとさ。

病院行って帰ってくるのに25分もかからなかったなぁ。

驚きの早さ。

そしてまったく痛くなかった。
「筋肉注射だから痛い」って聞いてたから覚悟してたが、ふだんの採血の方がよっぽど痛い。

「チクっとしますよー」と言われたけど、「え?もう終わったの?」って感じ。

今のところとくに体調も悪くなく、なんの問題もなく。

とりあえず次の2回目接種は10月19日。
そしてその翌日に採血。

そのうちこれが毎年恒例のものになるんかね(´_ゝ`)